新年

 新年である。しかし僕は特に改まったり畏まったりしたような気持には一向ならない。というのも多分新年らしい雰囲気もイヴェントも何一つとして僕を待ち受けてはいないし、従って日々と変らぬ三が日があるというに過ぎないから。故にこれと言って書くべきこともない。それなのに何故こうして文字を認めているかといえば、単に暇だからである。しかし矢張り書くことはないんだから始末が悪い。

 今日僕は暇なりに部屋を片付けてみようとしたが、しかし右手の屈筋腱が二本とも切れるほどの大怪我をしており、その掌の傷はまだ完治していないし(一応縫い合わせてもらってはあるが、五日にある手術の際にまた切り開かれる)、どうも気が乗らないから矢張り捗らない。だからその辺に積み重なっている本たちを本棚のあるべき場所へ戻す作業をしながらも、自然と手は本の頁を繰っている。それは福永武彦という僕の敬愛する作家の『別れの歌』という随筆集である。ときに今年は氏の生誕百年に当る。で、その中に『知らぬ昔』という題で氏の片恋について書かれたものがある。

「僕は高等学校を卒業する間際に、ちょっとばかしはかない片恋のようなものをしたことがある。」その随筆はこんな文章から始まる。氏は映画館の地下にあったグリルにてレコード係をしているメッチェンに片恋をする。「蓄音機の側に若い娘が一人いて、レコードを掛けたり外したりしているのが、カーテン越しに見える。ただその部屋はいつも仄暗かったから、面だちは定かには分らないし、また決してカーテンを明けて(原文ママ)グリルの方へ出て来ることもない。そのメッチェンが、何時からともなく気になって来た。」こんな具合に。氏は友人たちとビールを飲んでいる際に思い立って行動を起こす。「(…)背中に仲間の者たちの視線を痛いほど意識しながら、カーテンの間からレコード室にはいった。蓄音機の側に腰を下ろしていた女性が、おどろいたように僕の方を見た。

――どんなレコードがあるんだか、ちょっと教えて欲しいんだけどなあ。

 早口に、とにかく、それだけ言った。レコードにろくなのはなかった。彼女はそれにあんまり音楽に詳しくないらしく、僕がむつかしい曲を訊くと困った顔をした。その困った顔が、翳りがあって、魅力的に映った。

 それから、どうしても、彼女のことが忘れられなくなった。僕がその部屋にいた間じゅう、彼女は少しも笑わなかった。歯を見せることもなかった。馴れたらせめて、お愛想笑いくらいはしてくれるようになるだろうか。」

 気のままにその随筆がどのような内容か引用を用いて綴ってみたが、この恋の続きの気になる人は是非この随筆を読んでみて欲しい。