ジユリエツトの家

 ジユリエツトの家(文體練習)

 私の家の直ぐ傍には一軒の素敵な家がある。それは美しい玄關と手入れの行き届いた庭と、さうして突き出したヴエランダとを持つてゐる。故に私はその家をジユリエツトの家と呼び、その傍を通り掛かる度、また自分の家の書齋からその家を眺める度に一人ふと空想の世界へ遊んでゐた。ジユリエツトの家は毎晩十九時頃になると玄關の明かりを燈すのだが、しかし不思議なことにその家には全くと言つて良いくらゐに人の氣配が無い。庭の隅の駐車場には車の出入りした形跡はないし、その家の窗も、全ての扉も、まるで今までに一度も開かれたことなど無い、とでも言ふやうにぢつと靜まり返つてゐた。だから私はその寂しい家に或る種の仲間意識のやうなものを、そして穩やかな愛着のやうなものをも感じてゐて、いつもその家の前へ來ると立ち止り、その突き出したヴエランダへ向かつては、「おお、私のジユリエツト……!」などと煙草の煙を吐き出しながらに呟くのだつたが……、しかし、その家からは全く人の匂いなどしないのだ。それだから、私にはその家についての空想を自由に弄ぶことが出來た。
 ……その家には幼くして父と母とを亡くしたお孃さんが兩親から相續した遺産を遣り繰りしながら、女中なんかと一緒に愼ましく過ごしてゐて、さうして毎晩決まつた時間になると、來るはずのない客のために明かりを燈してゐる……、お孃さんは清潔なテエブルに頬杖なんぞを突きながらずいぶんと長い間待ち焦がれてゐるのだ、――待ち草臥れて眠り込んでしまつたお孃さんを、穩やかなあたたかい色のライトが優しく照らし出す幸せで美しい情景、それはジユリエツトの家の閉じた性質故に、その中だけにそつと、守られてゐるやうに隱されてゐる……。
 ……かういふ空想は私の悲しみの氣に入るものだつた上に、私の滿ち足りない何かを滿たす作用があるやうでもあつたから、私は屡々惹き付けられるやうにその家を訪ね、心の中で、寂しい家の中に住むジユリエツトを訪ねるのだつた。つまり、私はさういふ仕方で、私の中にゐる誰かを待ちわびる自分をジユリエツトといふ形に形成したわけだらう。私はそのイマアジユの持つほろ苦い愛着に憑かれてゐた。
 
 ……或る日、私は自分の家の庭で讀書をしてゐた。しかし、春先のなんともそわそわさせるやうな陽氣の所爲か、それは一向に捗らず、私は苛立たし氣に無闇と煙草を吹かしてばかりゐたやうに思ふ。業を煮やしつつも書物に挑んでゐると、なんだかちらちらと、光線のやうなものを二度三度顏に投げかけられた氣がした。はて、一體何だらうかと邊りをきよろきよろすると、例のジユリエツトの家が騷がしいやうな氣がして、そちらが無性に氣になり出したが、一見する所特に晉段との變はりは無かつた。しかし、矢張り何だか氣に掛かるから、そちらへぢつと眼を凝らしてみた。すると、何處と特定することは出來ないが、確かに何處かが晉段と違うやうな氣が強くしてくるのだ。一度氣になつてしまふと、私の持つ神經質な部分も手傳つて、どうにも落ち着かない。忽ち私の空想癖もが相まつて、私はその家を惚けたやうに見詰め續けた……。
 暫くして、その家の扉が開いた。私にはそれがまるで私を誘つてゐるようにすら感ぜられて、思はず椅子から立ち上がり、そちらの方へ數歩動いた。すると、さつぱりとしたスウツを身に付けた若い男性が玄關を歩くのが見えた。その靑年が不意とこちらを向いてお辭儀をしたから、私もそれに倣つた。
 ――やあ、こんにちは1、と私が努めて朗らかに挨拶をすると、
 ――こんにちは。今日はいい陽氣ですね、と靑年が返辭した。
 なんだか久々に氣の好い靑年に會つたやうな氣がして、私には急に自分が元氣になるのが感ぜられた。人付き合いを避けて暮らしてゐた所爲で、私は人との會話に飢えてゐたのだらう。
 ――あなたはそこの家の方ですか。今まではいやにひつそりとしてゐる家だなあと思つてゐたんですが……、
 ――さう。今までずつと空けてゐたんですけどね、もう暫くしたらこの家を使う豫定になつたんです。
 ――といふことは……、では、あなたが越してくるんです?
 ――いえ、僕ぢやないんです。僕の母と妹とがここへ越すんです。都會は空氣があまり良くないんだから。
 ――では、あなたのお母樣は……、どこかお惡いんですか?
 ――さう……、少し肺を惡くしましてね。でもじきに治るでせう、ここは氣持の好いところですからね……。

 それから一二週間か經つた頃、愈々ジユリエツトの家に母娘がやつて來て、私はその二人の愼ましい引つ越しの樣子を窗から眺め續けた。私は例の靑年にその二人の名前を聞いてゐたから――母の名前は佳子といふ名前で、娘の方は桂子といふ名前だつた――その二人の姿を見ることは、心の中で觀念として弄んでゐた愛着のある存在が形を得るといふことで、それは自分の幸福な夢の誕生する瞬間を目の当たりにするやうだつた。さうしてそれらが私へ微笑んでゐるかのやうな錯覺が私には感ぜられた……。
 私は夜頃、ジユリエツトの家を挨拶のために訪ねた。私は人氣のなかつた所爲で未だに幾分か無機質な感じのする應接室へ通された。
 ――初めまして。私は桂子と言ひます。ごめんなさい、部屋の掃除がまだ終つてゐなくつて……、ここは餘りきれいな部屋とは言へないでせう? と桂子がお茶菓子の乘つたお盆を持ちながら入つて來て言つた。
 ――いえ、こちらこそ急に訪ねてしまつて失禮でしたね。お詫びが必要だとしたら、それは僕が言ふべきです、と私は言つた。
 ――あらまあ。厭なお人。あなたは皮肉屋さんなのかしら?
 さう言つて笑ふ桂子の瞳には惡戯つ子のやうなあどけない光が燈つてゐた。
 ――さう苛めないでください。さて、今日はこの邊でお暇しますね。僕はただ挨拶だけのために來たんだから。お茶とお菓子とをどうも有難う。私の家は直ぐ傍だから、何か困つたことがあつたら、いつでも訪ねてください。では。
 ――あら、すみません。そんなつもりで言つたのでは……、
 ――いや、決して氣を惡くしたわけではありませんよ。引つ越し後で疲れてゐるでせうし、お母樣の看病をなさつたほうがいい。まだ夜は冷えますからね。
 その家を後にして、私は自宅へと歸ることとしたが、あの讀書をしてゐた晝下がりのやうな何とも言へない騷めきを感じ、ふとジユリエツトの家を振り返つた。すると今までは玄關の燈のみが燈つてゐたその寂しい家はこれまでと違つて全體が優しい光に輝いてゐた。それが私にはあの時のやうに私を誘つてゐると思へて、そのジユリエツトの家の光景は私の脳裡へ靭く焼き付いた……。それは未だに私の中で現像したばかりの寫眞のやうに殘つてゐる。
 
 その翌日のことだつた。私が家で寛いでゐると玄關のチヤイムが響き渡り、さうして直ぐに元氣な聲が續いた。
 ――おはやうございます。私です、桂子です。
 私はその聲によつて自らの心が生き生きと活気づくのを感じながら、玄關へと向かつた。そこには餘所行きの恰好をした桂子が、その痩せぎすな體を兩手で庇うやうにして愼ましく立つてゐた。
 ――やあ、おはやうございます。どうしたんです?
 ――ちよつと食料品などを買いに出ようと思ひまして、もしよかつたらこの邊りを案内してもらえませんかしら? と桂子は言ひ、お晝をご馳走いたしますわ、と續けた。
 ――それは有難いですね。最近僕は無精が續いてゐるもんだから……。一寸待つてゐてください。
 さう言つて私は準備をする爲に一度自室へ戻り、上着と帽子とを備えた。さうして二人でこのK…村の商店街へと向かつた。
 私はジユリエツトの家を暫し名殘惜しげに見詰めてから、桂子と二人街の方へと足を運び始めた。夏へ向かふ植物たちの眩しい綠に少し眼の眩むやうな思ひをしながら、またちらほらと顔を見せる小さく鮮やかな花々の匂いに……、それらは私の神經には少し強すぎた、しかしそれは隣にゐるお孃さんの所爲だつたのではないだらうか? 桂子は幾つかの花を摘み取つては、それを花飾りのやうにして弄び續けてゐたのだから……。
 さうして暫く歩き、私達は水車の横にて休息を取つた。そこにはベンチが設えてあつたから、私達は少しの距離を間に置いて黙り込んだ。桂子はその時も草で作つた花飾りを弄んでゐたから、その沈黙は全くと言つて好いほど氣にならないものだつた。その指先の方が朱色に染まつた細く美しい指が繊細な動きでもつて花を曲げたりする動作が、矢張り私の眼には眩しかつた……。
 ――時に桂子さん、あなたは一體何歳なのです? と私はふと思ひ出したことが、ぽろりと零れ落ちたかのやうに訊いた。
 ――ええ、もうじき十八になりますの、と桂子は答えた。
 ――さう……。
 その後、何故だか私は唖のやうに黙りこんでしまつた。沈黙が二人を支配し、さうして私と桂子とはそれを共有した。それを切欠にして、私達を包み込む空気、その穩やかな雰囲気は出来し、その後も私達の間にて通奏低音のやうに鳴り響き續ける……。
 休息を終へて私達は街へ出た。私には、若しかすると私は私の友人と鉢合わせてしまふのではないだらうか、といふやうな不安があつたが、矢張りどうやらこのお孃さんは私に元気を與へてくれるやうで次第に私の憂鬱は消えて行つた。しかし若し友人に會つたとして、それが一體どうしたといふのだらう? その場合私はジユリエツトのことをどのやうに紹介すべきだらう……?
 私は普段と違って陽氣に振る舞つてゐたやうに思ふ、その時ばかりは……。我が物顔で桂子に街のことを教へたり、行きつけのカフェーなんぞに誘つたりして、氣付けばお晝を少し過ぎた時刻になつてゐた。
 ――いけない。お母様が待ち草臥れてしまふわ。
 ――さうね、急ぎませう。
 その會話を切つ掛けにして私達は家路に就いた。下り道の多かつた所爲か歸りは早かつた。矢張り私の方が歩くのは速いやうで、自然と先に進み過ぎた私が桂子を待つことは多く、それが私に幸福なものを與へた。坂道の上の方から、こちらへ向かつて早歩きでやつて來る桂子の少し上氣した顏、その薄桃色に染まつた頬やら瞼やらが私を蠱惑し續けてゐた……。
 ジユリエツトの家に着いて荷物を運び終へると、桂子は台所へ、私はその傍に置かれてゐる食卓の椅子に腰を下ろした。さうして私は母親の二階から下りて來るのを待ちながら、料理をする桂子の背中邊りを眺め續けた。その家では皆が何かを待ち詫てゐるのだつた。皆が料理の完成を待つてゐたが、それだけでは無く……、私は自分の寂しさを滿たすものを、桂子は母親の病氣の治ることを、母親は……何を待つてゐたのだらう? 母親の願ふことは、この寂しい家のジユリエツトが幸福になるといふことだらう……。その時不意と、私はその全てが叶ふ理想の未來は、私がロミオになることだと意識し始めたのだつた。私の意識の端つこの方で、桂子が母親を呼ぶ聲が響き渡つてゐた。
 お晝の準備が整つて、三人はサラダやら鶏肉やらスウプやらの並ぶテエブルを囲んだ。私は無遠慮勝ちに食事を進めてゐた。それは寂しい家を少しでも活気付けやうと思つてのことだつた。しかし私がさうしてゐる間に母親は料理を二三口食べると沈み込んでしまつた。さうしてそれを氣にした桂子も同様に沈み込んでしまつたから、私の一層元氣良く食事を続ける音だけが虚しく響いた。それだから忽ち私は倦怠のうちに逃げ込んでしまひさうになつたが……、
 ――はあ、もうお腹が一杯だわ……、と桂子が言つた。
 ――さうなの……、後片付けは私がやつておきますから、二人で散歩にでも行つてらつしやいな、と夫人が穩やかに言ひ、微笑んだ。
 私は食事を終へて軽い微睡みの中に落ち込みさうになつていたが、その言葉に何だか眼の醒めるやうな氣がした。しかし、どうも具合の悪さうなのが感ぜられて氣不味いままに黙り込んでしまつた。それを感じ取つたのか、桂子はまるで母親の言葉など聞かなかつた、とでもいふやうな素振りで晝食の後片付けを始めたから、私は素知らぬ顏で眠り込んでしまつた、佳子夫人と桂子との視線を微かに感じながら。
 眼を醒ますとどうも體が重いのだつた。はて、どうしたものだらう? と思ひながら立ち上がらうとするも、私はテイブルの上に手を組んでそこへ頭を乗せて寝てゐたのだが、その私の腕に桂子の腕がさり氣なく絡んでゐるやうだつた。しかしそれは桂子の腕が私の腕に絡んで來たのか、それとも私の腕が桂子のそれに絡んでしまつたのか、判然としない感じだつたから、私は再び眼を閉ぢてその穩やかな晝下がりを愉しみ始めた。さうして時折寝苦しいやうに體を捩つては、桂子の寝顔をこつそりと盗み取るやうに見詰めるのだつた。その顔に翳を落とす長い睫毛を、小さく開いた形の好い唇から覗く真珠のやうな輝きを、少し乱れた髪の毛のほつれを……。何度それを繰り返したことだらう。壁に掛かつた時計が三時の鐘を鳴らして、私はその音を恐怖した。しかし、尚も私は桂子の顔を眺め續けるのだつた。
 ――寝た振りなんかして、いやなひと、と不意に眼を醒ました桂子がはにかみながら言つた。
 その言葉、その時の桂子の微笑みは、私から言葉を奪つてしまひ、私は照れ隠しに窗邊に寄つて煙草に火を点けた。さうしてふと用事を思ひ出したとでもいふやうに、
 ――おや、もうこんな時間なんですね。僕はそろそろ辭去します。お晝ご飯をどうもご馳走様でした、と言つた。
 桂子は怨ずるやうな眼で私を見詰めた。私と桂子とは暫し見詰め合つたまま立ち尽くした。柔らかな西日が差してゐて、それが私には、まるで私達の幸福が融け合つてその部屋に充滿してゐるかのやうにさへ思へるのだつた。さうして私はその情景を桂子の潤んだ瞳の中にも見付けるのだつたが、しかしそれは直ぐに私から消え去つてしまふ、零れ落ちてしまふのだつた……。
 ――仕事が切羽詰まつてゐて……、また訪ねさせてもらひたいのですが……、と私は去つてしまつたものを再度捕らえやうとして言つた。
 ――ええ、いつでもどうぞ。私達いつでも暇を弄んでゐるんですから。
 桂子の返辭を聞いて安心した私はジユリエツトの家を後にした。

 自室に歸つた私は讀みさしの本の重ねられた机の前に立ち尽くした。どれを開いても全てのペエジに桂子のあのあどけない笑みが浮かんで來るやうで、私は直ぐに疲れてしまつた。畫集を開いても、音楽を掛けても、私はその中に桂子のイマアジユを探してしまひ、なんだか無性に苛々して來るのだつた。それだから私は忽ち消耗して、服も着替えずにベツドへ倒れこんだ。
 私は少し眠つたり起きたりを繰り返して、真夜中の變な時間に眼を醒ました。さうして何の氣もなく煙草を吸ふ爲に窗邊に寄つてみたのだが、そこでジユリエツトの家の二階に明かりの燈つてゐるのを認めた。その時丁度その二階の窗が開いてヴエランダに人が出て來、私はぢつと眼を凝らしたのだが、如何せん私の弱い視力が災ひしてそれが誰なのかを識ることは能わなかつた。仕方が無いから私は再び自室へ戻ると少しの酒を飲んで眠りに就いた。

 私は雀の鳴き声で眼を醒ました。外はとても好い天気だつたから、私は簡素な朝食を認めると散歩をする爲に外へ出た。
 春先の暖かい日差しを背中に受けながら曲がりくねつた山道を数十分か上つたり下つたりすると忽ち私は薄つすらと汗ばんでしまつた。上着を一枚脱ぎ、小高い丘の上に腰を下ろすと心地好い緑色な風が吹いて來て、私の心中を晴れ晴れとさした。私は春のお天道様の下で暫く煙草を吹かしたりしてゐた。氣の付いた頃には太陽は殆ど私の眞上に位置してゐたから、私は再び上着を羽織つて來た道を引き返し始めた。すると、少しばかり遠くの方からか、若い弾んだ聲の聞こえて來るのに氣が付いた。それは男と女との聲だつた。それだから、私は無意識的に耳を澄ましてこちらの氣配を感じ取られぬやうにし、さうして樹の翳に隠れてゐる自分に氣の付いた時、漸く意識を取り戻したやうに思ふ。丁度私が私の意識を取り戻した瞬間、私はもう一つのことにも氣が付いた。どうやら、弾んだ聲の片方は桂子らしいのだ。しかし、もう片方の聲には全く聞き覚へが無かつた。その時の私には、更にもう一つ氣の付いたことがあつた。どうやら、私はその聞き慣れぬ聲の主に些かの嫉妬心を抱いてゐたのだ。
 一體桂子さんは誰と一緒にゐるのだらう……。偶然散歩の途中で出會つたといふ風にあの二人組と行き會ふことが出来れば良かつたのだらうが、しかし、私は何故だか木蔭に隠れてしまつてゐる……。この嫉妬心を自らの内部に押し留めるやう、自分の存在もをこの森の中へと隱し込んでしまへばいいのだらう。かうして、ここでぢつとしてゐれば好いのだ。
 私の屈み込んでゐるそのすぐ傍を桂子と見知らぬ男性とは、そつと通り抜けたやうだったから、私はこつそりとその二人を盗み見ようと試みた。しかし、丁度その時、桂子はこちらを振り返つてしまつた……。その時桂子は私を咎めるかのやうに一瞬鋭い眼付きになつて、さうして直ぐに私を赦すかのやうに微笑んだのだつた。

それから暫くの間、私は自分の家に籠りがちになつてしまつた。時折、仕事の用事で尠い客が訪ねてくるばかりで、私は単調な日々の中へと再び歸つたのだつた。
 私は昔の思ひ出を思ひ出してゐた。私が子供の頃の或る日、母が怪我をして飛べなくなつてしまつた小さな雀を拾つてきたことがあつた。私と幼い弟とは忽ちその小さなお友達の虜となつて、毎日その雀のために蚯蚓やら芋虫やらを用意したり、肩の上に乗せて自慢気に歩いてみたりするのだつた。さうして数週間が經ち、雀の怪我が癒えたから、私達は悲しみながらもその雀を外へ出してやつた。さうして、私は学校へ出かけた……。家へ歸つてみると、ヴエランダに冷たくなつた雀が倒れてゐた……。その雀は恐らく、私達になついてゐて、私達の家を自らの家だと思ひ込んでゐたのだらう。
 私はその雀を自分と準えて考へてみたが、……私もまたあの桂子の住まふ家に愛着を感じてゐるのだが、しかし雀とは違ひ自分の中の疚しい思ひ、惨めでちつぽけな自尊心の所為でかうして一人、ぢつと隱れて暮らしてゐる……。つまりは、それが人間といふ生き物なのだらうか。私にはさう思へてならないのだつた。
 また、私はこのやうなことをも考へてみた……。
 實は私は様々の悪事を沢山働いてゐて、さうしてそれらがいつか私へ向かつて一斉にしつぺ返しを食らわすのぢやないだらうか……? さう考へると私には全てが恐ろしく思へるのだつた。
 ああ永遠の戀人、私のもとを去つて行つた少女よ……、あなたは今一體何処で何をしてゐるのだらう? 私は今もこんなにもあなたを思つてゐるのだよ……。ああ、それだのに、自分の悲しい空想の具現化によつてすつかり酔つ払つてしまつた私は……、その新しいヒロインに些か惚れ込んでしまつたのだが……、しかし私はその新しいヒロインの中にさへあなたの似姿を見出して、さうして益々あなたへの思慕を靭めてゐるのだよ……。私は昔もあなたを通して神々しい物を愛してゐた、つまり今の私は桂子の中にあなたの姿を見てはその姿を神の似姿のやうに思ひ、さうしてそれを通じて永遠の女神への信仰を抱いてゐるのだらう……。